「素晴らしい奇跡」を感謝する心で
校長 鍵 谷 好 徳
私たちは、日々を生きていく中で、自らを取り巻くことに感謝の心を忘れてはならないと思います。感謝する心があってはじめて、生きる喜び、生かされる喜びも生まれてくるのです。
実際、私たちは、生きていく上で、空気をはじめ水、そして太陽の光、暖かさなど自然から限りない豊かな恵みを受けています。時折、その自然から、寒波豪雪、猛暑干ばつ、地震災害など恐ろしく、厳しい仕打ちを受けることもありますが、それらの苦しみから立ち直るのもやはり、自然の力やその恵みが大いに助けてくれています。
また私たちに豊かな恵みをもたらすのは、自然界からだけではありません。人間(界)社会からも、「豊かな恵み」の恩恵もまたとても大きなものです。
祖父母、親や兄弟、先輩上司、同僚そして先生方など自分を取り巻く人々の歴史や生き方など、尊い恵みのおかげで、日々過ごすことができているのです。
ところが人々はとかくこのことを忘れがちとなります。「自分ひとりの力で生きている」などと勘違いをして、周囲への感謝やありがたさを忘れる人に出会うと、つくづく寂しさを感じてしまいます。このような人は、絶えず不平や不満をつのらせ、自らが自らの生き方を味気なく憂鬱なものにしてしまっていることに気づいていないのではないかと考えます。他を中傷することでは、幸福な社会は訪れません。
豊かな民主主義の中、生命や自由、人権を大切にしているはずの昨今、個人の身勝手な考えから起こる事件や事故が本当に数多く報道されています。殺傷事件、振り込め詐欺、危険ドラッグや飲酒からおこる重大な事故等、あげればきりがありません。何故このような事が懲りもせず、頻繁に起こるのでしょう。全国の学校の中でも、いじめなど全く理不尽で悲しいことが起こっています。「学校カースト」などと言う馬鹿げたことも存在すると言われています。事件事故を引き起こす人達は、多くが自己中心的であり、物事や人々に感謝することを忘れ、人を妬み、嫌い、自らの心の不道徳に気がついていない人が多いと考えます。
今あらためて「感謝する心」というと、ありきたりとか、時代遅れの考えなどと言われることもありますが、果たして本当に、時代遅れの不要な考えなのでしょうか。私は決してそうではないと思います。皆さんは、今ここで生きていることが、本当に尊くて、価値あることであり、ある意味では「素晴らしい奇跡」なのだと思いませんか。その価値ある「奇跡」として自らを取り巻く自然や人々、そして歴史と文化など周囲からの恩恵をあらためて実感してほしいと願うのです。
激動と先行き不透明な日本の将来は、生徒の皆さんに委ねられています。自らの境遇について慢心や不平不満に終始することがあってはなりません。
常に内省(反省)に努め、歴史を学び、先哲の心にふれる事を尊び、何事にも、心の正しいあり方を根本に立てて進む生き方が大切ではないかと思います。そうなれば、必ず豊かな生き方を見いだせるのではないでしょうか。
「この時代に生きているのは、必然であり、素晴らしい奇跡である。」
豊かさや利便性をもたらせる機械よりも人として生きるという必然と奇跡を「礼」と「感謝」の心をもって、過ごすことが大切です。新しい年も生徒諸君にとって最高で素敵な年となるよう願っています。